祈り:只愛す愛す愛すこれ極意なり
問
お祈りの時神様の愛を感じますが、愛は神様に心を向け、神様に導く為に存在しているように思います。 でも全てが神様の愛だと思った時、愛も錯覚で本当はないように思いますが、別の言い方をすれば神様は愛だとも思います。 愛という感覚があるだけだと思いますが、愛について教えて下さい。 人が愛一杯になれた時に、神様と一つになれるように感じます。答
祈りとは「愛」なのだと言えるだろう。 只、只、愛の確認のために、我々は生かされているのである。 人生の苦難はこの愛を知るために与えられているのだ。 愛とは、自他の別を失なうことに他ならない。 愛するとは、愛さないことである。 愛するという意識が存在しない世界であるのだ。 自分が他を愛していると意識する限りにおいて、真の愛は成就し得ないのである。 その意味において、この世に云う愛すらも、錯覚ということになる。 しかし、人がこの世に生きる限りにおいてこの錯覚は必要なものだ。 この錯覚なくして、向上もあり得ない。 生活の節目節目、人生の節目節目にこの愛が作用して、人を改善させ、向上させていくのである。 それは、真理から見た時には錯覚かもしれない。 それこそが真に必要なことであるのだ。 真理とは、愛とは、所詮方便にすぎない。 人間が、存在そのものの根本原理に到るための方便であるのだ。 人それぞれに違う生き様がある。 しかし、そのどれもに愛が存在し、生かされている自分がそこに在る。 その錯覚が遂には、正覚へと変わる時が来るのである。