見せかけ:見せかけが悪い者は霊的に低い

会報誌の御法話に「来世は、自分の心次第で、顔から指先まで何もかも全部が決まるのだ」とありますが、今顔の良い人、頭の良い人、お金持ちの人ははるかに普通の人より心がきれいだ、霊性が高いということでしょうか。 そう見てしまえば、何だか自分は人を見る目が変わってきてしまいます。

世界広しと雖も、見せかけが全てである―といっている指導者は、この私をおいて他にはいまい。 特に、宗教家ともなれば、人間は見せかけではなく心と魂である、というのが常識で、私のようなことを言う人間は否定されることになる。 なぜなら、彼らには物事が客観的に捉えられないからである。 自身の心の貧しさを認めたがらないためである。 彼らは、真理について、全くの無知だからである。 実は彼らのようなことを語る人間こそが、人々を闇黒の世界へと導いているのである。 よく思い出してみるといい。 明るい人の顔と、暗い人の顔とは、明らかに違いがある。 同一人物にしても、明るいときと暗いときでは、その表情は180度異なって見えるものだ。 その結果、その見せかけを通して、この人はいま楽しそうにしているとか、暗く沈んでいるといった判断を可能とするのである。 これが、私がいう「見せかけ」である。 見せかけには、その人の心の全てが反映する。 明るい人は明るい顔つきとなり、普段暗い人は、暗い顔つきとなる。 当然のことながら、その明暗は立居振舞にも現われ、明るい人は、元気にそれらを行ない、暗い人はいかにも元気なさそうに、弱々しく、あるいは陰険な表情を見せるものである。 悪事を為す者は、いつも落ち着きなく視線が定まらない。 三白眼で見、他人の話を真剣に聞くことをしない。 顔には、卑しさが漂っている。 軽佻浮薄な人間もこれに似たところがある。 また、いつも怒気に支配され、喧嘩ばかりを為す者は、眉眼がつり上がり、眼に余裕がない。 痩せている者と、逆にふてぶてしい筋肉質の肥満体となりやすい。 悪意に満ちた者は色黒く、眉薄い。 人の心を傷付ける者は、必ず、その体に傷を持つことになる。 その傷が大きければ大きいほど、痛みが大きいほど、その人の日常がそこに表現されているのである。 事なかれ主義には、絶望的な出来事が待ち受けて、事なかれではいられない状況が出現する。 可もなく不可もなしといった人間には、衰運が現われる。 その顔は、誰からも覚えられない存在感のないものとなる。 自己の内へと逃げる者、自己を否定する者は、顔が凹(くぼ)んでいき、自己主張する者は凸(でっぱ)っていく。 耐える者は顔が広がり、忍耐に乏しい者は、細くとがった顔となる。 心の狭量さを表すのである。 肉付きの良さは、心の豊かさと同時に慢心を意味するものである。 若くしてそうなる者の中には、狂気に支配されている者が多い。 中年を経て痩せている者は、およそ頼りにならない人間である。 心が狭いからである。 では、人種別に見てみることにしよう。 日本人と白人を比べた時、その特徴は明然となる。 白人 =色白、赤味。筋肉脂肪共多。背が高い。メリハリのある体型。小頭。細顔。大眼、奥眼。鼻高。姿勢よく歩く。攻撃的。論理的。積極的。派手。革新。ポジティヴ。 日本人=黄色。きめ細かい肌。背低い。ズン胴体型。大頭。広い顔。細い眼。低い鼻。出た唇。姿勢悪い。穏健。非論理的。消極的。地味。保守的。ネガティヴ ざっと、こういった違いが存在する。 人は、これを単に人種の差といって片付けてしまうのであるが、そうではない。 この差は、性質の差であるのだ。 積極的性は、常に体を前へ前へ上へ上へと伸ばす法則を持つ。 逆の場合は後へ下へと後退させていく。 それが白人と日本人の体型の違いであるのだ。 肌色の黄は中央の意で、人類の中心を意味し、白色は、良くも悪くも裏表がないことを示している。 白人は同時に赤人でもあり、これは血気の意味である。 悪い意味の愛国主義者でない限り、日本人より白人の方が見ばえがする事実を否定することはできない。 特に十代から三十代にかけての差は、余りに大きく目を覆うばかりである。 情けない。 その違いの原因は偏に、上記の性格に依るものである。 日本人は、もっともっと前向きであるべきだ。 因に好例の典型は、黄肌で顔(頭)が大きくて広く、更に高い鼻、広い額で、中肉中背。 何より思慮深い眼を持つ人物である。 まあ、細かいことを記したら限りがない。 もちろん上記のことに例外はある。 大雑把な見せかけを紹介した。 個人間で計ることは難しいが、平均値として語るならば、貧乏人より金持ちが、頭や顔の悪い人より良い人が、霊的にも上である傾向にある。 但し、見る眼のない人が見る美醜と私が言うそれは、全く一致しないことが多い。 真に顔や頭が良いか否かの眼力がない限り、判断は慎重にすることである。

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