魂と生育:育て方によって魂は変わりますか

生まれた時の魂というのは、どういう感じなのでしょうか? もし地獄霊の魂でも、赤ちゃんの時から周りのものがしっかり愛し、その子の価値を認めてあげれば、やさしい子になったりしますか? つまり、育て方によって、どんな魂も変わるのでしょうか。(飲食業 40代)

輪廻の主体の魂は常に学び常に向上せん事を欲している

幼い子の魂と成人の魂が違うように一般人は思っているけれども、実際は何も変わらない。 人間の容姿が異なるものだから、魂も幼いのだと勘違いしがちなのだが、それは、単に人間としての成長過程の姿に過ぎず、魂は前生のそれをそのまま続けているのであって、決して、転生の際に幼稚になる訳ではない。 それは恰も、老人が青年よりも能力的に劣勢となるが故に、魂も青年より劣っていると考える間違いと同じである。 一般に、魂と呼ばれるものは、大きく二つに分けて考える必要がある。 一つは、本体としての霊である。 これは、過去劫来より、変わることなき、全きの存在である。 それ故、人に仏性ありと云い、また如来を蔵すると云うのである。 それこそが、不壊の存在であり、悟りの主体となるべきものである。 そこに一切の迷いはない。 尤も、この字には、一つ大きな悪いイメージ「幽霊」がついてまわるために、誤解されやすい。 もう一つの魂こそが、迷いと輪廻の主体として存在する。 実は、こちらこそが、幽霊の主体でもあるのだ。 それ故、鬼という字を用いるのである。 中国では、鬼とは幽霊を指す字である。 日本で云う鬼という意味とは本来異なり、冥幽界の存在を示すものだ。 その魂は、転生毎に何らかの影響を受け、幼少の時には、脳の発達に伴なう変化を見せていく。 それ故、本体の霊そのものが成長していると思い込みがちなのだが、そうではない。 あくまで、肉体と霊とが融合する中で生じる、一つの現象にすぎない。 根底の意識は、人間の意識を超越しているのだが、脳が心を支配していく過程で、脳優位となり、人は、恰も幼子の様な存在となり、再びと、表向きゼロからのスタートとなるのだ。 だが、実際、前世までの因縁を背負い込んでの転生であることに違いはなく、ゼロからのスタートなど、あり得ないのである。 それは、表面のことでしかない。 我々は、一人の例外もなく、過去劫来の因縁を背負って生きているのである。 だから、あなたが言うように、地獄霊でも、周囲の者がしっかり愛してやれば良い子になるか、というと、残念ながら、この論理には、大きな謬りがあることになる。 地獄霊は、優しい愛情深い親とは、縁が生じないからである。 よく「太陽と北風」の話が偽善者の間で語られることがあるが、こちらの愛情によって大変身し、立派な人間になった人物というのは、元より立派な魂の持ち主だったのであり、一時期荒れていたとしても、決して地獄霊などとは異なるのである。 「理論」上だけなら、あなたの質問はその通りとなるのだが、「現実」上には、あり得ないということである。 地獄霊は、明らかに酷い親の所に転生させられ、幼少よりずっと酷い目に遭って、育つものである。 そして、益々その本性を顕わし、成人する前に、誰からも嫌われる酷い奴となっているものだ。 尤も、同じ境遇に生まれたとしても、大善人は、そこから何とか這い上がり、立派な人間へと変身することが出来る。 彼らは、特別に試練を受けている人種である。尤も、私が知る限り、両親に愛情がなかった例は、一つもない。 その点だけは、明らかに、地獄霊と異なる所である。 それ以外の点については、ある意味、地獄霊よりも大善霊の方が、人生を苦しむことは多い。   では、地獄霊は未来永劫に救われないのか、といえば、そうではない。 ほんの僅かだが、如何なる霊魂であっても、向上の可能性を持つのである。 その機会は、常に用意されている。 人生に於いて、幾度となく、その時は訪れる。 だが、ほとんど凡ての悪い魂は、その時を逸するのである。 それでも、一切の霊魂は、救われることになる。 上の霊がより高くなれば、底上げが行なわれることになるからである。 それは、私やあなたに救いがあるのと同様に、一切の霊にあるということである。 必ずいずれは、救って頂ける。 有難いことである。 謙虚に謙虚に、また謙虚に、生きる魂は幸いである。

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