習気:自らのあらゆる欲求こそが習気である
問
自分自身の習気(じっけ)を本当に見極めるのはどうしたら良いのでしょうか。自分の行為の善悪が因果となるのではなく、習気こそが因縁の主体のような気がします。答
確かに行為というよりもその奥にある習気の方が問題である。 習気とは習い気性であると理解すると分かり易い。 本来の意味は、因縁の種子(しゅうじ)を指している。 それは、良いものもあれば悪いものもある。 真如が他を浄める作用(浄法)と無明が真如を汚す影響作用(染法)とに二分される。 その限りにおいては、あながち否定されるものではない。 これなくして解脱・悟もあり得ぬのだから。 要は、染法とか有漏種子と呼ばれる迷いの主体となる種子を、いかに遣除するかにある。 これは、現代心理学で説くところの潜在意識や、更にその奥にある深層意識について述べられていると理解するとよい。 過去現在における自分の思惟言動、或いは他からの何らかの外圧、影響が、心の奥底に入り込んで、それ以後の自身の心理作用、実際の行動に大なり小なりの決定をなしていくことになる。 そのようにして、現在の自分が存在するのだ。 習気とは、心の中に染め入ってくるものであるのだから、その気になれば、その全てを把握することができる。 つまり、自己のあらゆる欲求こそが習気であると理解すればよいのである。 良いことも悪いことも、その心に発せられたその瞬間瞬間に、自分にはそういう種子があるのだと気付くことから始めればよいのである。 心の表に出てくる感情の全てが習気であるのだから、その一つ一つを、きちんと把握し、自分という存在を改めて認識しなおしたらよい。 全ては、そこから始まるのである。 既述の通り、習気は、必ずしも悪いことばかりではない。 悟へと向かわせてくれるものもある。 たとえば、人を助けたいと思う心。 美しいものを求めたいと思う心。 一切を愛したいと思う心。 自然が好きで好きでたまらないと思う心。 真実を只管に知りたいと思う心。 哀れに涙する心。 愛する者のために命を捨てる心。 すべてに感謝し続ける心。 物を大切にする心。 物事を受け入れる心。 許す心。 祈る心。 これら、清浄な心を発露させることは即ち、解脱への道に他ならない。 そう思えば、習気大いに結構ということになる。 何事も、表裏がある。裏にだけ心を奪われずに、表もきちんと見てやることだ。 大いに救いが見えてくる。