職種:無学の智慧者は神の祝福を受く

以前先生が、「世間で評価の高い職種についている者に高いものをみることはない」ということをおっしゃっていました。自分の場合、医師を目指した動機には不浄なものが多くありましたが、そのような職種を目指す者は一般的に霊性が低いといえるのでしょうか。また、世間的評価の高い職種を目指す場合、どういったことに気をつければよいのでしょうか。自分が低い者であるとの自覚、慢心を戒める、といったことでしょうか。

確かに、世間的に高い地位にいる者を見て、神に愛されていると思える人は、滅多にいないものである。 この世で秀れているとの評価は、仕事が出来るというものである。 その結果として、地位を得、財を得、権力を手中にすることが出来る。 では、霊的に秀れている者とは如何なる人を指すのであろうか。 即ちそれは、心の綺麗な人であるのだ。 心が綺麗とはどういうことだろうか。 それは、あらゆることに執(とら)われの心のない者である。 その心に表裏がなく常にまっすぐである。 物事の本質を、一瞬にして見究める智慧を自然と身につけている人でもある。 その意味において頭のいい人だが、それは決して、ペーパーテストの点数がいいということとは関係ない。 いつも言うことだが、この人は、神の祝福がある人だなと思えるのは、インテリなどではなく、無学の百姓だったりするのである。 或いは一芸に秀でた職人であったりするものだ。 何故なら、彼らには、無意識のうちに、自分を忘れて働かなければならない「場」が与えられているからである。 そこには、何のかけひきもない。 ただひたすらに努力精進する毎日があるだけだ。 だから、心は汚されずにいられるのである。 さて、医師だが、立派な仕事である。 ただし、実際にはろくでもない医師が大半である。 だからこそ、立派な医師となるべく努力してもらいたいものである。 立派な医師とは、極力手術治療をせず、薬を与えない人のことだ。 昼夜を問わず献身できる人のことである。 あなたもそうなればよい。 そして、多くの人を救ってもらいたい。 きっと、あなたならそうなれるに違いない。

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