天災:頻繁な記録的大災害の意味は
問
近年世界各地で、大地震やハリケーンなど、記録的な規模の大災害が相次いで起こっています。これほど頻繁に大災害が起こるのは過去に例がないのではないかと思います。一体どんな意味があるのでしょうか。※2005年12月の問答(コンピュータ関係 30代)
答
愚かな人間の念いと民族の対立とが気を乱し天災を導く
過去に例が有るか無いかは専門家ではないので不明だが、例年に比して多いことは確かである。
その意味では、2006年も充分にその可能性を有した年であり、世界的に緊張の続く年となるだろう。
以前にも述べたように、ここの所の日本の地震については、明らかに韓国、中国の千万単位の人の呪いが原因している。
しかしそれは、日本に限らず、世界各地で発生していることが、よく分かる昨今である。
自然とは本来荒々しく、恐ろしい存在である。
いつの間にか科学文明時代となり、あたかも科学の方が自然の営みよりも優れたもののような教育がなされるようになり、遂にはそれを信じて疑わない人間ばかりになった。
また、宗教に代表される自分主義は、他者を一切受け入れず、自分至上主義に陥っている。
そこから生まれてくるのは、自他の対立でしかない。
いまだに燻り続けるフランスの暴動などは、正に象徴的な未来を映し出しているかのように思えたものだ。
イラクでの自爆テロは正にその典型と言えるだろう。
民族は民族に、宗教は宗教に、対立仕続けるのが、この二十一世紀ということになるのだろう。
二十世紀の方が、よほど理想に燃えていたように思われる。
災いとは、これら人間の念い(おもい)によって導き出されるものであることを、我々は知らねばならない。
しかし、本来、自然とは、破壊と創造を繰り返しているものであり、その限りでは、必ずしも人間の念とは関わり知らない所で営まれており、自然現象イコール人間の念と考える必要はない。
だが、その天災なりが、明らかな形で人間社会を襲い、著しい被害を生じさせるとなると、話は違ってくる。
何故なら、一切が、因果の定める所から発せられているからである。
因果の関わりなく、何事かが成就することはないのである。
ここ数年に於いて、明らかに、天災や人災が増えて来ていると実感する。
昔は、人殺しなどというのは、滅多にあるものではなかった。
ましてや、通り魔的なもの、猟奇的殺人というものは、自分の人生に特別に刻印される数のものであった。
ところが、いまやその種の出来事が、日常茶飯が如くに発生し、直接自分に災いが降り懸からない限り、誰もが他人事としてしか受け止められなくなった。
先進国、後進国に関わらず、その惨劇は生じている。
それは恰も、人間としての行為の清算が行なわれているようだ。
否、正にその通りである。
いつも語ってきたように、その災いは、世界の歪みを通って出てくる。
歪みとは、エネルギーの弱い所と、エネルギーが乱れている所である。
たとえ、信仰に厚い国でも、近代国家への努力を怠っている所は、チベットが如くに他国によって侵略され、崩壊させられるのである。
この異常な天災群を観ていると、明らかに民族間の呪いというエネルギーが介在している。
AからBへと発せられた呪いのエネルギーは、天災となってBを襲い、その反動が倍になってA自身へと返っていく。
正しい日本人へ向けられた誤った中韓の呪いは、大山鳴動すれど、被害を受けることはなかった。
ところが、アラブの呪いを受けたアメリカのハリケーンは、合衆国の中でもトップの犯罪率を誇るニューオリンズ周辺を、死の街へと変貌させた。
アラブ側にも半分の正義があり、被災地は乱れた気に支配され続けていた為に、このような形で、実害が発生したのである。
だから、より長い期間に亘って、人種的対立が繰り返されている所ほど、天災が襲う確率が高くなるのである。
また、怠惰を貪り、人類史に貢献しない民族や国も、滅びなければならない。
これは定めである。
自らが招いた定めに他ならない。
この時代、益々、民族間の対立が激化し、いよいよ大きな災害を導くことになるのだ。
