自他同一:理を以て解し憤り惹かれぬこと

私は、人の辛い話、傷ついた話等を聞いた時、その人の辛さが、自分の胸に飛び込んできて、その時のその人の悲しみが私の中に入ってきてショックを受けてしまうことがあります。そこにいない人のことでも、その人の悲しみが、その感情が、胸一杯になって、苦しくて切なくて、もっと強く大きくならなければと思うのですが、 そのショックをずっと引きずってしまいます。色々考えているうちに、最後はいつも空しい気持ちで終わってしまいます。こういうことが続くと、いろいろなことに対して、この空しさが諦めの気持ちになって、よくないように思うのですが。(派遣社員 35歳)

その通り。良くない。
結果は異なるが、私も同様に体験するものである。
それは、とても辛いことである。
例えばテレビで動物が殺されているのを見るとげんなりする。
殺人等の事件が紹介されると、その被害者が弱い立場のものであればあるほど、切なく悲しい想いをするものである。
そこまではあなたと全く同様である。

こういう心の持ち主は、善人である。大いに喜ばしいことである。
だが、だからといって、それが原因で一日中(ということは一生涯)苦痛に喘いでいたら、この人の人生は、何の価値も見出せないことになってしまう。

あなたは、とても心が優しい。
純心さを持っているのであるから、それを是とし、次に、世の不条理については、それが現実であるという達観を身につけることが要求されるのである。
そうでなければ、毎日何万もの人たちが非業の死をとげているのだから、それを想像しただけで、心はパニックとなり生きていけなくなる。

だから、現実は現実として諦めるしかないのである。
そのかわり、ほんのわずかでも世の中がよくなるように、努力をすることが大事なのだ。
つまり、人の悲しみを己が悲しみとするのなら、少なくとも自分によってもたらされている他者の悲しみや苦痛を、完全に消し去るよう努力することである。

また、非業といっても、実際は業あっての悲劇であることに気付くことも大事だ。
誰しも自分が作った因縁に従って苦楽を味わっているだけでしかない。
誰のせいでもなく、自業自得の結果なのである。
理をもって現実に処していかなければ、辛くて生きてはいけない。

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