死の準備:力を抜いて自然の一部として死を迎えると良い

現在45才の健康な男性です。しかし、明日生きている保証もなく、それに対して死ぬための準備がまるでできていないことを反省し、身辺整理など準備を進めています。死ぬ準備ができてこそ、より積極的に生きることができると考えるからです。その中でお伺いしたいことです。 家族には葬式や墓は不要、骨は迷惑にならない所に捨てるようにと頼んでありますが、よろしいでしょうか。

さて、あなたの文面からは、何とも言えない力みが伝わってくる。 力みがあるということは「何か」が間違っているということである。 その「何か」とは何か、あなたは考えないといけない。 ここから伝わるあなたは、とても高飛車である。 こういう事を言う私にも食ってかかりそうな勢いがある。 それは、あなたを優秀な才能へと導いてきたかもしれない。 独自の世界で、満足出来ているかもしれない。 しかし、私には「何か」が違う気がする。 一度、力を抜いた方が良い。 あなたの力みは、明らかに、偏ったものである。 とても攻撃的で、十代の尖った少年と対している感がある。 それ程に純粋な部分があるという表現も出来るだろう。 しかし、それでも、もう力を抜く年齢であることに気付かねばならない。 さて、質問にお答えする。 あなたが墓や葬式を不要と思うならば、何ら問題ない。 しかし、あなたの家族も果たしてそうなのだろうか。 家族も同様ならそれで良いが、そうでないなら、家族の希望に従う必要がある。 何故なら、彼らの方が、あなたの死後一切の世話をしなければならないからである。 先ずは家族のご意向を確認することである。 この世に生まれるという事は、我が儘を改善するということである。 求道とは、只、前へ前へと歩むことである。決して力むことではない。 他者との調和なくして悟りもない。 皆が納得する形でこの生を終わらせることである。 少なくともその様に努力しなければならない。 荼毘については、骨が残らぬよう完全に灰にしてもらうよう、事前に頼んでもらうのが良い。 そうすれば、散灰も問題がない。 敢えて言えば、あなたは山よりも海への散灰の方が支障が出ない。 両親の骨壷に入れることも灰なら可能だ。

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