長崎と原爆投下:土地は住む者の気に支配され災いもまた招く原因となる
問
長崎に落とされた原爆は、第一目標は小倉だったそうです。しかし命令の、目視による落下が、曇っていたため実行できず、第二目標の長崎に落下されたということでした。この場合、土地の持つ因縁というものが関与していると考えてよろしいのでしょうか。
答
因縁的話をするならば、小倉より長崎の方が業が深いということになる。
小倉が日本国の為に市民生活を犠牲にして(煤煙で町は常に曇っていた)鉄を作り続けていたのに対し、長崎はキリスト教信仰の町で、その類の犠牲が見出せない。
何より、この土地が持つ業は、先祖の信仰を否定したことにある。
秀吉によって処刑された「26聖人」と名付けられた所の売国奴たちの存在とそれを肯定する思想の蔓延は、日本国土を守る先祖の霊たちにとって、許し難いものであったことは想像に難くない。
からら偽聖人たちは、当時、バチカンと共謀して日本を攻撃し、バチカン領にする計画を立てていたのである。このような愚劣極まりない売国奴を出現させた長崎が持つ悪因縁は、大きかったと言う他ない。
キリスト教の最大の欠点の一つは、国や個人の祖霊を祀ることを禁じていることである。
一神教として当然のことではあるが日本の国土に合った思想ではない。
ここは中東が如き砂漠の地ではない。
欧米が如きドライな所でもない。
それどころか世界でも有数の降雨量の多い所である。
心は乾くことなく善くも悪くも常に湿っている国民性なのである。
その国土に乾いた思想のキリスト教は不適合なのである。
国土(その土地)の守護神守護霊を無視することは許されない。
いまの自分の存在を支えている過去劫来の存在を否定し、如何にして自らの拠り所を見出し得るといえるのだろうか。
実に長崎の人々はこの一点において大きな誤りを犯したと言わなければならない。
長崎に先んずること三日の八月六日、広島に世界初の原爆が投下された。
当初私は、その霊的因縁が理解出来なかった。
しかし、後に、この土地の人々の言葉の余りに荒々しいのを耳にして「これだ!」と確信した。
いかなる災いも、常に自己の思いが導くのである。
長崎は片寄った信仰がそれを齎し、広島は片寄った気性の激しさが激しい爆発を導いたのである。
人個人の運命も然りである。
穏やかな者は穏やかな人生を歩み、激しい者は激しい人生に遭い、騙す者は騙され、陥れる者は陥れられるのである。
優しい者は必ず救われる人生となる。
個人が引越しをした時も、同様に土地神を鎮める祭事を成すべきである。
それは、内々のものでよく、心を込めて祈り、供養することである。
この場合の供養とは、首を垂れて「ご挨拶する」ということだ。
