公的機関と民間企業:どのような関係にあるべきでしょうか
問
公的機関と民間企業の関係がどのようにあるべきか質問したいと思います。(学生 10代)答
公民共にその無責任体質を改め厳しい法体制を敷くべし
たぶん、姉歯事件と、郵政民営化のことに関連してのご質問と推察する。(註:本問答は、2006年2月のものです) 公的機関とは、古来、役所に代表される、為政者が国民を支配するためのものであった。 直截に言えば、領民の金品を巻き上げるための組織だった。 更に、敵対する者の監視と弱体化の役割を持っていた。 現代に於いても、基本は何も変わってはいない。 違う所と言えば、昔は、為政者その者の利権の為の組織であったのが、いまや高級官僚の為の組織になり下がってしまっていることである。 主権在民という思想をうまく利用して、官僚が国を乗っ取った形であるのが、我が国の実態である。 とはいえ、一応のことは行なっていて、国軍の保持を始め、警察や、福祉関係や、各種行政の運営は、公的機関の最たるものである。 何故、公的機関が必要かといえば、国家体制の維持の為に金がいることと、その金を使いこなす能力を持った組織を必要とするからである。 治安維持や教育など、逓信事業も、また国家的内容だった。 それがいま、徐々に変わろうとしている訳だ。 中曽根内閣の時に、国鉄の民営化がなされたように、小泉内閣は郵政三事業の民営化を進めたのである。 それは、国家に代わるだけの産業が根付いた事を意味している。 ところで、役人の既得権問題として、浮上してくるのが、民間企業や個人への、監理や許認可事業である。 公はお上であり、企業は奴僕の民間である。 民間は、お上の思し召しのままにしなければ、許されない。 これが、役人の権力志向と賄賂の要求、はたまた、天下りという構図を作り上げてきた精神構造であるのだ。 実に、彼らは威張っている。 しかも、強権的に搾取した大衆の税金を私しているのだから、強盗とどこも変わらない。 これは冗談ではなく、論理的な客観的結論である。 これからの国家は、只管、小さな政府になるべきである。 そして、倫理道徳観を基本とした地方自治体制に、作り変えねばならない。 しかし、昔の様なお隣さん制度的道徳心の復活は、現実的には、不可能だろう。 それならば、公的機関の役割を闡明化し、それに反した場合の罰則規定を、終身刑も含め、いまの100倍位、厳しくする必要がある。 その上で、民間を指導する形になれば、やるべき仕事をきちんとやり、権力志向に陥ることのない公が、誕生することだろう。 産業は、もっともっと規制のない、自由な形で、発展するのが良い。 ただし、あくまで、道徳的観念の上に、それらは運営されなければならない。 何より、責任と義務の徹底がなされない限り、いまだ共に悪である公と企業の関係が、善化することはない。